修行と息抜きと睡眠

過去の自分と未来の自分へ残す記録

思考整理 今年何をしていくか

ビジネスの勉強を始めて50日が経った。

1月1日に今のビジネスコミュニティに入り、いろんなことを学んでいるが、まだ何の行動も起こせていない。

他メンバーは日々、日報チャットや壁打ちチャット、ツイッターで成果報告をしている。ゼロイチならココナラやnote、以降は通話やブログなどでも売り上げを出しているようだ。

 

ビジネスのビの字も知らず「えいやっ」と大金をはたいて、「今年中にこのお金を回収する。たくさん稼ぐぞ!」という勢いだったが…

ここまでの現実は、インターネットビジネスの全体像を掴み、コンセプトメイクのやり方を学び、どこでゼロイチを達成するかを知り、仲間やリサーチした人たちの商品を見たり、必読教材を学んだり…

自分では何の手も動かしてないじゃないか…!!

 

それもそうだ。自我を捨てきれていない。

ブレインダンプやコンセプトメイクをしてみても、どうしても「こうありたい自分像」から離れ切れていないのだ。

 

何でもいいからゼロイチを達成しようと、今ココナラに出品する記事を書いている。ノート術に関する記事だ。これは明日出品する。ここまで作業に2週間かけているのだ。絶対出す。出したらここに日報を書く。

 

 

今私はビジネスの勉強をしていて、先に進んでいる先輩たちの姿を追っている。それで精一杯なのに、なにを「好きなことで稼ぎたい」「こうありたい自分でいたい」などと考えているのだろう。いやそれは考えていない。思考が停止しているだけだ。

 

ビジネスに必要なのは、“自己成長”と“他社貢献”の一致。

「今の私にできること」「今の私がやっていくこと」は【ビジネスの勉強と実践】で、それは“自己成長”だ。

【ノートの書き方】は“自己成長”でも“他社貢献”でもない。これを飛躍させたところで【ノートで夢を叶える】なんて、そんなぼんやりしたものでビジネスできるとは思えない。

 

今まで約10年、私の成長にはいつもノートや手帳があった。ノート術・手帳術の本にはすごくお世話になったし、私もいつかこんな本を出したい!と思いながら過ごしてきた。

しかし、それはビジネスで結果を出してからようやく出来ること。

今の私がやるべきことではないし、やったところで結果が実るものではない。芽すら出るのも難しいだろう。

 

 

昨日、職場の上司からお叱りを受けた。叱るというほどの熱ではなかったが、最近私が研修している人が、私の研修速度に負担を感じているらしい。「いきなり丸投げしてはいけない。相手にもその人なりのペースや心がある。」と注意された。

丸投げしたつもりはなかったが、今思うとそういう風に受け取られても仕方ないやり方をしていた。

私はこれまでの職歴で、いつも丸投げされてきたように思う。「何も分からないだろうが、やらなきゃ分かるものでもない。とりあえずやってみろ」でやってきた。傷だらけになりながら、そうやって社会で戦ってきた。それが“ふつう”だと思っていた。

 

しかし、上司にこの話をされて一人で考えたあと、いろんなことが巡り巡って腑に落ちた。この職場ののんびりさや、給与の低さ。それに対する私の成長速度のギャップ。

妙に納得がいった。私がここに入社して約3年で見てきた私と私の後に入社した人の受ける研修速度は、「1年かけてやっと最低限の研修をし、それから成長するのを待つ。その後にまだやれる人は次のステップ」というペースだ。

これじゃ育つ人材も育たないし、この場の成長速度も見込めない。

研修がのんびりしていてまるで学校のようだ。いつも先生の存在があるから、みんな競って成長しないし、安い給与の範囲内で働こうという意識なのだろう。

私は、成果を出さなければ給与アップも見込めないという意識でこれまで身を挺して勤務してきた。それで自他ともに認める成果を出した。私の配属されたポジションは、これまで職場内でカスのような存在感だった。今はいわゆる“金のなる木”だ。

 

卵が先か鶏が先かではないが、そんな意識差の理由にようやく気が付いた。

 

1月末、「退職しようと考えている」と上司に相談し、かつてないほど面談を重ね、話し合ってきた。私の気づきや意見を伝え、できる範囲で精いっぱい上司も改革をしてくれた。この1ヵ月弱は本当に激動だった。なんと制服まで変えさせたのだから。

上司や幹部が動いてくれたので、その気持ちに感謝できた。だからもう少し、ここで働くのを続けようと思っていたところだった。

しかし昨日、様々なことがストンと腑に落ちたことで、また周囲とのギャップを意識してしまうようになった。

私は今、どうやら情緒が安定していないようだ。

 

今日明日の休日で、できるところまで手を動かし、休み、気持ちの整理をしようと思う。